メニュー

サイト情報

昔の冠婚葬祭マニュアルはどんな風だったか?

昔の冠婚葬祭マニュアルはどんな風だったか。概してこのころのマニュアルは、保守的なのから多少革新的なのまで、ばらつきが大きい。巻頭言の差にも、編集方針の差があらわれている。戦中戦後の十余年間、これら礼法の無視された空白時代を過ごしてきた若い人たちが、さて結婚式を挙げたいがどういうふうにして挙げるのか、葬式を行わねばならぬがどんな方式で行うのか、と戸まどうのは当然のことであろう。(中略)本書はこの要望に応えて刊行されることになったものである。(藤崎弘編著『冠婚葬祭事典』一九五七年)結婚式と葬儀のエチケットというものは多分、現代生活の中で最も古めかしいものを残しているのではないかと思います。(中略)従って今までの本には単に習慣をそのまま記しているものや、明治時代の布告を現代語に直しようなものが多いようです。しかし、古い人間関係に基いたエチケットは現代には通用しません。(堀口健二『結婚・諸式・弔事の心得』一九五八年)重厚長大な前者は、戦前のマニュアルをベースに結婚式場から新婚旅行に適した温泉地まで膨大な情報を盛り込み、式次第の項には仏式には経、神式には祝詞、キリスト教式には聖書朗読の全文(全文だぞ)がつく。ライト感覚の後者は「意中の人がいる場合」と称して自由恋愛におけるプロポーズの仕方を教えている。この差は葬儀のページにも反映し、前者は標準的な自宅での葬儀に加えて、浄土真宗、曹洞宗、秋田(土葬)、山形(火葬)の式次第の詳細を載せ、後者は弔問での挨拶に加え、「旧師に対する高校生の弔辞」「上役に対する女子社員の弔辞」などコミュニケーションの仕方に多くのページを割く。

産屋というのは?

産屋というのは、産婦の血のケガレが他の空間にひろまらないように、日常的な住居空間とは別に隔離された空間をさしている。家の納戸や座敷、また産小屋の形をとるところが多い。島根県下の隠岐島では、一九三〇年代ごろ、納屋の外庭に産屋をしつらえていて、母屋に忌みのかからぬようにしていたという。岐阜県揖斐郡では、囲炉裏の下地炉、すなわち横座の向かい側でお産をしたというが、実際にお産をする場所をウブヤといった。そして産後七日間はここに静座して囲炉裏の上座の方へ行くことは絶対になかったという。奥三河地方の民家では、産室として納戸が使用されているのが一般であった。その内部の様子は、産婦は俵によりかかっていて、中央に三尺四方の竹簀子が設けられている。この下の床下に深さ一尺、広さ二、三尺ばかりの溝がつくられていた。産婦は賢子にボロを敷いて、その上で分娩したという。胎水などは床下に落ちていくので、拭い清めるのには都合がよい。床下の溝はさらに産湯、三日・七日の湯などを流す所であった。

控えめフレグランスで自己主張

たくさんの人が過ごすオフィスでは、香りのマナーも重要だ。汗臭さ、タバコ臭さをまきちらしているような人は論外。自己演出のうまい人は、「自分の香り」をTPOに合わせて使いこなしている。ビジネスシーンで使える香水としては、オードトワレかオーデコロン。トワレのほうが濃度が高くやや強く香るので、好みで選ぼう。また、香りはつけてすぐのトップノート、30分以降持続して香るミドルノート、そのあとのラストノートと、時間で変化していく。選ぶときにはいちばん長く香るミドルノートを嗅いでから選ぶこと。香水のつけすぎは会社で嫌われるので、つけ方にも注意。空気中にワンプッシュして、その霧の中をくぐるようにすると、ちょうどよくふんわりと香りがつけられる。エレベーターの中、握手するときなど、近づいたときにほんの少し香るくらいが好印象だ。


日本全国暮らしの総合ガイド

Copyright (C) WWW.ORIENTAN.COM. All Rights Reserved.